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梁川小学校 ・・・保存版BGM 保存版(歌付) 梁川小学校校歌 佐伯 郁郎作詞 渡部 精治作曲 一 僕らが立ってるこの土地は 住みよい故里ぼくらの故里 空は大きく青い空 ぼくらはここに生れここに育つ みんな手をとり輪になって 明るい心もち合って きよくきよくすこやかに ああぼくらは梁川小学生 二 僕らが通うこの丘の 円い学校ぼくらの学校 夢が生れる光る窓 ぼくらはここに学びここに励む みんな元気で胸はって 大きなのぞみもち合って つよくつよくたくましく ああぼくらは梁川小学生 |
↑クリックで360度パノラマ写真になります 写真 梁川小学校Webサイトより引用 (現在) 写真 卒業アルバムより引用 裏門 (卒業年) |
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梁川中学校 跡地 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石碑だけが中学校の歴史を伝えていました。 昭和53年閉校。江刺東中に。 http://blog.livedoor.jp/kendolife/archives/cat_229917.html ・・・いわて県道ブロクより引用 〈杜陵随想〉渡部精治 消えた校歌・・・盛岡タイムス 記事が削除されてたので、コピーしてた記事を保存用に無断で載せます。盛岡タイムス様ご承諾願います。 盛岡タイムス 2005年 7月 13日 (水) ■ 〈杜陵随想〉渡部精治 消えた校歌 昭和22年に今の学校法が施行されて、新しく3年制の中学がスタートした。急きょ新築された新校舎で、初めての卒業生を送り出すころになると、それぞれの学校に校歌が作られ始めた。地域の環境を賛美し、語り継がれた教訓を織り込んだ内容の詩が採用され、生徒は誇りを持って、声高らかに謳歌(おうか)した。 昭和26年、音楽学校在学中のわたしに、郷里に近い江刺の稲瀬中学校から、校歌作曲の依頼が舞い込んで来た。前の年に、わたしの紹介で岩谷堂中学校が校歌の作曲を、同期生の作曲家諸井誠君に、依頼したいきさつを知っての打診であった。 諸井君の作品は単純な旋律ながら、ラモーの五六とよばれる和音の進行を、巧みに使った上品な曲であった。作曲専攻の彼にはかなわないだろうが、わたしは思い切って引き受けることにした。 依頼のあったのが5月3日、それから半月ばかりそのことに没頭した末に、下総皖一教授のお認めをいただいて、完成したのが29日であった。これが世に出たわたしの作品第1号である。 作詞は当時稲瀬村に疎開していた斎藤春吉という方で、詩にはヒューマニズムとか理想などの言葉が出てきて、平易で新鮮な感じがした。諸井君のアドバイスもあって、二部合唱でしかも途中に、ポリフォニック(輪唱)の手法を交えてハイカラなものに仕上げた。今でも満足感のもてる曲である。 それから半世紀、過日、当時稲瀬中学校の生徒であったという方から、突然の電話があった。近々に同級会を開くが、母校はすでに統合されて存在しない。懐かしい校歌を歌いたいとの要望が多いが、うろ覚えでなくしっかり歌いたいので楽譜を、ということであった。 わたしにとってはとてもうれしいことなので、急いでコピーをしファクスで送ってあげた。そして、クラス会の盛会と皆さんの健康を祈った。警察官だったその方も、すでに退職されているとうかがい、年月の経過をしみじみと感じた。 ところで、その稲瀬中学校だけではなく、前述の作曲家諸井誠の名作、岩谷堂中学校校歌もなくなった。わたしが校歌を作った梁川中学校、玉里中学校もすでにない。また、のちに市長まで務めた水沢中学校長佐藤哲郎先生からの依頼で、ピアノの恩師梶原完氏を通じ、歌劇「夕鶴」で知られる作曲家團伊玖磨に作ってもらった水沢中学校校歌も、いつの間にか替えられてしまったようだ。これも統合の犠牲なのかもしれない。 宝石を捨てたようで残念でならない。先輩後輩のきずなが断ち切られ、地域の結束は、空しい過去のものとなってしまった。それぞれの校歌は、歌詞の内容と旋律の抑揚によって、その学校の歴史を伝えてきた。卒業生は、共に歌い共に和した場所をなくし、心を養い体を鍛え合った「支え」そのものを、失ったようなものである。 最近、今度は高校の統廃合計画が取りざたされ、市町村の合併問題とも絡んで、地区の発展と結びつき、いろいろ論議を呼び、提案が飛び交っているが、校歌の、それぞれの歌詞にみられるように、心のよりどころとなってきた故郷の山川の姿などを歌わずして、人間形成は果たし得ないように思う。 校歌に限らず、こうした統廃合による文化財の損失を、教育委員会ではどう処置する考えなのだろう。宮澤賢治の精神歌でも知られる、花巻農学校の行方が気になるところ。理想郷イーハトーブも、言葉だけが観光資源になってはならないと思う ・・・盛岡タイムス 梁川中学校 校歌・・・岩手日報・・・保存版BGM 梁川中学校校歌 佐伯 郁郎作詞 渡部 精治作曲 一 朝かげ清く 風薫る 美(うる)わしこの地 日の神台 そびえて立てる 学び舎(や)を 若き心に たたえなん ああ梁川 われらが母校 二 古き歴史を 秘めてたつ 烏帽子(えぼし)山に 護法塔 無言の教え 育(はぐく)まれ 集いてここに 三百名 ああ梁川 われらが母校 1955年の写真を提供してもらいました。クリックすると拡大表示します。(校庭下の木の所は正門だった) |
写真 卒業アルバムより引用 写真 卒業アルバムより引用 写真 2008年4月 |
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見つけたホームページ |
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さくしろブログ (ページが削除されるともったいないので無断でコピーしましたお許しください) 【古館】 岩手県奥州市江刺区(旧江刺市) 梁川集落に着いたら道路工事で弾かれ、偶然に標柱を見つけました。 |
【野手崎城】 岩手県奥州市江刺区(旧江刺市) 仙台藩伊達氏の支城網、所の一で、小梁川氏代々の居城。 |
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【葛西館】 岩手県奥州市江刺区(旧江刺市) 標柱に記載のある「南端丘陵頂部」、 どの丘陵の頂部を指しているのかが判りにくいんですが…。 葛西氏の居館と伝承されています。 |
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YouTube - 金津流梁川獅子躍 2010 |
YouTube - 江刺甚句まつり(百鹿大群舞)2009 |
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YouTube - 金津流梁川獅子躍 2006 | YouTube - 金津流梁川獅子躍 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
YouTube - 甚句まつりの百鹿大群舞 1989(平成元年) | YouTube - 奥州江刺百鹿大群舞(岩手県)-奉祝パレード- 2009年11月12日(木)に皇居前で行われた全国の郷土芸能が参加したパレード。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
YouTube - 岩手県 奥州市 金津流 梁川 獅子躍 |
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思い出のメロデー、タレント ・・・クリックで聞くことができます ・太陽がくれた季節(青い三角定規) ・思秋期(岩崎宏美) ・岡田奈々 ・安田成美 ・大場久美子 ・浅田美代子 ・麻丘めぐみ ・南沙織 ・天地真理 ・山口百恵 ・やまがたすみこ いちばん好きな曲 チューニングラブ(スタジオライブ) ・チェリーに口づけ(ミッシェル・ポルナレフ) ・ダイヤモンドヘッド〜パイプライン(ベンチャーズ) 梁川に関係する人 大滝詠一さんのアミーゴ・ガレージ 大瀧 詠一(おおたき えいいち、本名:大瀧 榮一、1948年7月28日 - )は、シンガーソングライター・作曲家・アレンジャー・音楽プロデューサー・レコードレーベルのオーナー・ラジオDJ・レコーディングエンジニア・著述家など、多くの顔を持つミュージシャン。 岩手県江刺郡梁川村(のちに江刺市を経て、現・奥州市)生まれ、母親は教師。血液型AB型。釜石南高校卒業、早稲田大学第二文学部中退。 一般には歌手としての表記(1973年ごろから)である大滝詠一で知られている。代表曲に、『幸せな結末』、『夢で逢えたら』、『A面で恋をして』など。 ・・・フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用 YouTubeへ・・・さらばシベリア鉄道 YouTudeへ・・・風立ちぬ ・・・江刺ルネッサンス ohtakiへ 大滝詠一のバイオグラフィーには、「二歳の時に鹿踊りの太鼓の音にしびれる」と書かれてある。もしかすると、大滝は江刺に住んでいた十年の間に郷土芸能に触れ、音楽に目覚めたのかもしれない。・・・江刺ルネッサンスより引用 「おおたき」も「大滝」と「大瀧」の二つの表記がある。「大滝」は歌手名、「大瀧」は作曲、プロデューサー名である(これの混同はよく見られる)。他にミキサーの笛吹銅次、編曲の多羅尾伴内、チェルシー、リンキー・オー・ヘン
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